「錦秋湖湖底アーカイブ②」からのつづき
【11月28日】
連日の雨、そして初雪も降り始めた西和賀町。
再度探索の機会を伺いつつも、なかなか湖底の足場が乾きません。
しかし、そうこうしているうちに、水位低下のリミットの日が近づいてきます。
12月になると、元の水位に戻り、湖底も全て隠れてしまうのです。
朝から晴れ模様の日を見計らい、最後の探索を決行しました。
この日は、前回行けなかった旧大荒沢駅跡から上流側のエリアを探索です。
ひび割れた大地が広がる中心に一人立っていると、とても不思議な感覚です。
かつてここは、鉱山の街として栄え、多くの人達が行き交い賑わいを見せていた街でした。
しかし今は、湖の底から現れた遺構が点在し、そこを冷たい風が吹きすざむのみ。
まるで、いつの時代かにタイムスリップしたような、またはどこか知らない地へ飛ばされてきたかのような錯覚に陥ります。
和賀川に架けられていた吊り橋の跡。
旧地図によると「尼瀬橋」という橋だったようです。
橋台には、張られていたワイヤーの跡が残っていました。
これは…、おそらくトイレの跡?
便器と便槽口の跡が男女用で2つずつ、というように見えます。
穴の奥に手を伸ばせば、“ウン”が掴めるのかも…。
旧杉名畑小学校跡。
校門がしっかりと残っていました。
50年前までは、ここを多くの子供たちが通り、賑やかな声が聞こえていたのでしょう。
裏門に位置するあたりにも、出入口跡と思われる柱が2本。
だいぶ劣化していましたが、ほぞ穴など、ほぼ原型をとどめていたのは驚きです。
これはどのように使われていたのだろう?
横木などを通して、門を開け閉めしていたのかな?それとも…?
などと、色々な想像が掻き立てられます。
よく見ると、田んぼがあった場所にはうっすらと畦畔の跡が。
昔の田んぼは水路に沿って畦畔が曲がりくねっていたり、小さい田んぼも多かったはずですが、この跡を見ると畦畔は真っ直ぐ、田んぼも広めに見えます。
この地域は、農地整備が進んでいたのではないでしょうか。
遠くに堰堤跡が見えてきました。
また行きたい衝動に駆られましたが、この先の足元が緩く、そこまで行くには大きく遠回りしなければなりません。
時間の都合で断念です。
Uターンし、旧横黒線の線路跡伝いに西へ。
最後の目的地、対岸から見えていたロックシェード跡へ!
さすがロックシェード!頑丈さがウリなだけあって、ほぼ原型をとどめています。
緩いカーブがかかっていて、近くから見るフォルムも見事です。
さて、いよいよ内部に潜入です!ドキドキワクワク…。
横穴から光が差す光景が、なんともノスタルジック!
足跡がたくさんあり、すでに何人かはここに来たようです。
中には何かしらの動物の足跡も。
この珍しい光景、動物の目にはどのように写ったのでしょうか?
西側の坑門付近は、崩れ落ちてきた土砂で半分くらい埋まっていました。
10年後また水位が下がった頃、ひょっとするとこのロックシェードの坑門は土砂で埋まってしまい、内部には入れなくなっているかもしれません。
ロックシェードを抜けた先には、旧横黒線の跡がくっきりと残り、美しいカーブを描いていました。
しかし足元はほとんど砂利で、足を取られてしまったらそのままズルズルと落ちてしまいそう。
慎重に進みます。
やがて目の前に現れたのは、橋台跡。
はるか下には川が流れ、おそらく鉄橋が架かっていたものと思われます。
その向こうには、わずかにトンネルの入口が見えますが、ここでタイムアップ。
後ろ髪を引かれる思いで、この場を後にしました。
12月に入ると、錦秋湖の水位が一気に上昇しました。
数日前までは、確かにそこにあった数々の遺構や生活の跡も、今ではまた湖の底深くに沈んでしまい、その面影を見ることはできません。
50年目まで、そこにあった街や暮らしを偲びつつ、また10年後に現れる姿を楽しみに待ちたいと思います。
(さとう)
おわり