錦秋湖の北側、天ケ瀬橋の北端付近に注ぐ大石沢は、通称『矢つくしの沢』と呼ばれています。
前九年の役で、安部貞任と源義家が激戦を繰り広げた地といわれています。
安部舘の安部貞任軍と八幡舘の八幡太郎義家軍の激しい戦は一進一退、容易に決せず、大石沢におびき寄せられた義家軍は雨霰(あめあられ)のように射られた弓の猛攻に防戦、盛んに弓を射て応戦するも、最後の一本の矢を射尽くし命からがら退散した。
ここを矢つくしの沢という。
やがて義家軍が勝利を収め、敗れた貞任軍は沢内を通り厨川の柵に逃れたが、道すがら沢内にもいろいろな伝説が残されている。
≪現地解説文より≫