孫作地蔵尊

錦秋湖の南側、峠山地区に孫作地蔵尊があります。

かつて地区の住民を守るために、自ら犠牲となった孫作を供養するために地蔵尊が建てたれ、現在でも毎年、供養祭が行われています。

 

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孫作地蔵尊の由来

元文4年(西暦1739年)の早春、小繋地区(大荒沢)の孫作という百姓の家に見知らぬ他国者や地区民がしばしば出入りする姿が見受けられました。

これは、生活に困窮した地区民が、生きるためにやむを得ず藩の山から樹齢数百年という立派なケヤキの盗伐するための相談でありました。

この企てには、地区民をはじめ遠く秋田方面からも加わり、総勢120名を数えたものの、あまりの巨木ゆえに切り倒すのに一週間もかかったといわれます。

やがて盗伐のことが人伝いに新町代官所に知れるところとなり、地区民に対して厳しい取り調べが行われました。

孫作は、他の地区民を救うために自分一人が罪を被って犠牲になることを決意し、あらかじめこれを固く申し合せていました。

こうして孫作は捕らえられ厳しい拷問を受けましたが、最後まで自分一人の仕業であるとの自白を曲げず、とうとう打ち首となってしまいました。

地区民は孫作の死を悼み、感謝し、供養のために地蔵尊を建てねんごろに祀ったとされます。

昭和35年の湯田ダム建設による水没移転のために地区民とともに和賀町横川目(現北上市)に移されましたが、昭和56年、再び小繋に近いこの縁の地に帰ってきました。

その後、町の有形文化財に指定され現在に至っています。

 

 

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