錦秋湖の南側、天ケ瀬橋の南端付近に注ぐ岩滑沢は、通称『メッコかじかの沢』と呼ばれています。
後三年の役に戦勝した八幡太郎義家の家来、鎌倉権五郎景政は金沢柵(現在の秋田県横手市)攻めの戦いで敵の弓矢で左目を射られながらも、その矢で弓を射た相手を倒した勇士であった。
目に傷を負った景政は引き上げ行軍の途次(道すがら)、八幡舘近くの岩滑沢の水で目を洗い痛みをこらえた。
景政の左目から赤々と血が流れ出、その後この沢に棲むカジカはみな片目のカジカになったと伝えられている。
≪現地解説文より≫
錦秋湖の南側、天ケ瀬橋の南端付近に注ぐ岩滑沢は、通称『メッコかじかの沢』と呼ばれています。
後三年の役に戦勝した八幡太郎義家の家来、鎌倉権五郎景政は金沢柵(現在の秋田県横手市)攻めの戦いで敵の弓矢で左目を射られながらも、その矢で弓を射た相手を倒した勇士であった。
目に傷を負った景政は引き上げ行軍の途次(道すがら)、八幡舘近くの岩滑沢の水で目を洗い痛みをこらえた。
景政の左目から赤々と血が流れ出、その後この沢に棲むカジカはみな片目のカジカになったと伝えられている。
≪現地解説文より≫