350年以上前、一羽の鶴が傷を癒していたことから発見されたと伝えられている湯本温泉。
その源泉「大湯」のそばに立つ「薬泉観音」という観音像には、名湯を守り継いでいく人々の思いが込められています。
【湯本温泉の由来】
俳聖正岡子規が紀行文「はて知らずの記」の中で「山の温泉や裸の上の天の河」と詠われたこの湯本温泉を訪れたのは明治26年8月のことでした。
湯本温泉は奥羽山脈の分水嶺に位置し、和賀川べりにこんこんと湧き出る湯田温泉峡にあって最も古く開湯した温泉で、悠久の時を越え
「万治元年(1658年)秋田仙北の漁師が狩りをしていた時、鶴を弓矢で射た。傷を負った鶴を追って行くと、鶴が温泉の湧く岩場で羽の傷を癒しているのを見つけた。やがて鶴は元気に大空へと飛び去っていった」
と古老は鶴の湯発見の伝説を語り伝えています。
藩政時代の記録には、田中の湯・岩根の湯・走の湯・岩中の湯・泥の湯の名を残し、更には滝の湯・亀の湯を、そして名湯「丑の湯」を今に伝えています。
能く効く温泉として春秋多くの人々に親しまれた湯本温泉の源泉「大湯」の地に、湯の里を拓いた先人に感謝し、やすらぎの温泉として末永く守り続けることを誓い「薬泉観音」を建立しました。