今年の9月から11月までの間、錦秋湖の水位が下がりました。
これは、10年に1度行われる湯田ダムの取水塔の点検・工事のため水位が下げられたもので、この期間は今まで目にすることのできなかった錦秋湖の光景が広がりました。
限られた期間しか目にすることができない光景。
しかも、次のチャンスは10年後です。
奇しくも錦秋湖(湯田ダム)50周年の記念すべき年にあたる今年。
50年前の面影が現れた光景を記録に収めるべく、現地に足を運びました。
この先の10年間、後悔しないように。
【11月11日】
国道107号から小道に入り道なりに下ると、そこには露わになった湖底が広がっていました。
まるで異次元のような、なんとも不思議な感覚。
しかし歩を進めるごとに、50年前まで確かにここには人々の生活の営みがあった、そのことを感じさせるものの数々を目にすることができました。
建築物の基礎や生垣の跡があり、そこに家か何らかの建物があったと推測されます。
陶器などの欠片も、その周辺に散らばっていました。
菅傳呉服店…。
試しにネットで検索してみましたが、ヒットしませんでした。
陶器はどれも白と青の柄が目に付き、時代を感じさせます。
何の跡なのかわからないものもたくさんありましたが、それが全て50年前のものだということ、そして普段見ることのできない光景の数々に、胸が高まります。
そこには、確かな生活の跡があったのです。
東西にわたる道の跡に、橋が見えました。
道があったら進みたい。
橋があったら渡りたい。
それが、人間の性(さが)。
はやる気持ちを抑えられずに歩を進めると…
「ズボッ!」
そう、水が下がったといえど、ここは湖底。
乾いている場所もあれば、ぬかるみもまだ残っています。
油断すると、簡単に足がはまってしまうのです。
締め付ける泥の圧力は想像以上。
こうなると、長靴を履いたままでは足が抜けません。
結局、こうなって…
そして、こうなります。
でも、無事に救出できただけでも御の字です。
そのことは、後日思い知らされることに…。
泥だらけの長靴を履き、探索続行。
橋の反対側に廻ってみました。
ひび割れがはっきりとなっているほど、地面が乾いていて歩きやすいことがわかってきました。
道路跡の地面にもひび割れが起こっているものの、若干柔らかめ。
一歩一歩、足の沈み具合を確かめながら進みます。
いよいよ、橋に到着!
親柱は、長年の水流によって削られた模様。
橋の名前らしきものが掘られていたようですが、判読できず…。
しかし、反対側に回ってみると…
こちらは親柱の劣化が少なく、掘られている文字もはっきりと読めます!
「杉名畑上橋」
やはり下流側は水流の摩擦が少ないぶん、劣化も少ないのでしょうか。
後で調べたところ、この道路跡は旧平和街道のようです。
旧平和街道は明治20年、黒沢尻(現・北上市)から横手に至る道路として開通しました。
出羽国平鹿郡と陸奥国和賀郡の郡名の首字を合わせて「平和(ひらわ)街道」と名付けられましたが、現在は国道107号が「平和(へいわ)街道」と呼ばれています。
対岸には、旧横黒線(現在の北上線)のロックシェードが。
錦秋湖の水位が下がってから、国道107号からもよく見えていた場所です。
あそこも、いつか探索してみたいものです。
(さとう)
「錦秋湖湖底アーカイブ②」へつづく