10月13日(日)、沢内の碧祥寺にて『寺子屋シンポジウム』が開催されました。
この会を主催する震災支援・チームにしわが協議会は、被災地とのつながりを絶やさず、支援に対するモチベーションを維持しながら活動するために、同じ志を持つ個人・団体がチームとして連携していくことが必要という趣旨で設立されました。
これまでには被災地でのお花見や雪あかり居酒屋、サマーキャンプ、お笑いライブ、チャリティーコンサートなどを開催してきました。
今回開催のシンポジウムも、継続支援していくために、改めて震災について考える場として設けられました。
詳しくは、代表の太田宣承さんのブログに掲載されていますのでご覧ください。
今回のシンポジウムでは、パネリストとして被災地3県から、震災当時から現場で奮闘されてきた3名の方をお招きしました。
それぞれ、震災当時の様子から現在まで、これから先のことなどについて語っていただきました。
それらは現地で経験した人でしかわからない、とても深いお話しばかりで、参加者は熱心に聞き入っていました。
お話しの一部を紹介します。
≪福島県相馬市・佐藤好正さん(介護施設寿厚苑職員)≫
勤務する南相馬の介護施設は、利用者は他県の施設に移り、約1か月閉鎖。
職員も避難しても構わないと言われるが、利用者や施設を見捨ててしまうようで、皆迷う。
残って被ばくしたらどうするのかという問いに「自己責任です」と上司に言われ憤りを感じるが、佐藤さんは残って、消防団員として行方不明者の捜索にあたった。
他にもガソリンスタンドの警備を任されるが、限られたガソリンを求め我先にという状態。怒号が飛び交いケンカ寸前に。
中通り(郡山、福島)では店も営業し、物も豊富にあったが相馬には何もないという日常の違いに、震災が他人事に思われているのではないかと感じた。
原発事故による放射能の飛散状況も当初は発表されてなく、結果、流れの先に避難した子供たちが内部被ばくしてしまった。
今でも、どの情報が本当の情報なのかわからない。
東京五輪が決まって復興が早くなるか?逆に復興のための人や物がみんな東京に持っていかれるのではないかと不安。
≪宮城県仙台市・関口真爾さん(徳泉寺副住職)≫
震災直後の仙台市内は、停電による信号のストップに加え、マンションの住民が部屋にいられず車で外に出るものの、行くところがなく路上駐車し、結果交通マヒになった。
本堂に避難し、ダルマストーブで暖をとる。
仙台の中心部では、普段星空は見えないが、街が停電になると満天の星空が広がっていた。
翌日の号外で、大変なことが起こったと知る。
情報が乏しかったので、町の人たち同士で水飲み場やお店などの情報を伝え合った。
火葬場にはご遺体が廊下やロビーにまで並べられた。仮埋葬場を設け土葬し、落ち着いてきたら掘り起こして火葬した。
若手のお坊さん仲間と、気仙沼の避難所でドラム缶風呂を提供した。
家族を亡くした人と助かった人、避難区域に家があった人と区域外の人、内陸と沿岸、福島と他県など、立場の違いからの対立が今でもあるが、「元に戻りたい」という共通の想いで繋がっていきたい。
≪岩手県陸前高田市・千葉寿子さん(正徳寺坊守)≫
息子の通学路が海沿いだったので、すぐに学校へ迎えに行き、波が見えてきたので山の上のほうへ逃げる。
林の中で何も見えず、ゴゴゴーという地震の音と、流される車のクラクションの音だけが響いていた。
寺に歩いて戻り、避難所として開放、150人を受け入れる。
3日後に物資が届き、山の水を汲んでみんなで自炊をする。
やがて仕事に通う人が出てくると、当番をしなくなる人も出てきて不満の声が上がるようになってきたので、お互いに時間や予定を把握し、役割分担をして不公平にならないように努めた。
他の避難所に避難された方は、何もすることがない状況だったらしいが、ここの避難所ではみんなで分担して動いていたので、訪れた人に「元気な避難所ですね」と言われた。
シンポジウム終了後には、湯田中学校、西和賀高校の生徒のみなさん、チームにしわがのメンバーと前述の3名を交えてしゃべり場の時間が設けられました。
4班に分かれてワークショップ形式で、震災が起こったら「被災地に何を持っていくか」「何をするか」について語り合いました。
「何を持っていくか」は、情報を得るためのラジオ、火を通さなくても口にできるような食料、着火だけでなく保温などにも活用できる新聞紙など。
「何をするか」は、まず逃げる、安否確認、情報収集、話す機会を持つなどが挙げられ、どのように、どういう順序でというところまで掘り下げられての議論がされました。
いずれも、実際に避難生活を経験された方の声から学んだことが反映されていて、大変意義のあるしゃべり場となったようでした。
最後に「今、被災地にとって必要なものは何ですか」という質問に対する言葉を記します。
とにかく被災地のことを忘れないでほしい。
同じ被災者でも、状況の違いによるすれ違いから、言いたいことも言えないことがあり、外から来た人にだけ言いやすいこともあるので、話しを聞いてほしい。
一言に被災地といっても、地域によってそれぞれ状況が違うので、多くの場所に足を運んで実際に見てほしい。
行って感じて、それを多くの人に伝えてほしい。
現地に行くことが復興支援に繋がるということはよく耳にしますが、それは単にお金を落としていくことだけではなく、もっと深いところに理由があるのだなと気づかされました。
被災地は長期にわたっての支援が必要とされています。
復興に対する関心が薄くなってきている今だからこそ、今一度、震災に向き合っていきたいと思います。
(さとう)